ざくろ色の止まり樹

いまある音楽を楽しむ。

最高の楽器「声」の使い方、スティーブ・ライヒの場合 Part.3

Part.1では録音されたことばフェイズ音楽
Part.2では楽器としての、ことばを伴わない声パルスについてお話した。

さて今回は、声が改めてことばを引き連れて歌うようになったあとの作品を紹介したいと思うよ。

www.zakuroiro.net

 

「ことば」から「歌」へ:『テヒリーム』

Reich: Tehillim (1981)


(『テヒリーム』は30:53まで。その続きはライヒの別の作品『砂漠の音楽』が入っています。)

ライヒの作品の中で、声が「歌詞」を持っている最初の曲だ。
わたしのこの曲との出会いはラジオだったんだけど、それはもうすごい衝撃を受けたんだよ!
女性の歌声と、背景の楽器のハーモニーの美しさとか、打楽器のエキゾチックな音色とリズムに、一気にこころをさらわれた。
ちなみにそのラジオはNHK-FMの「現代の音楽」という番組で、これを聴いた当時は日曜日の18時にやってたものだ。
今は朝の8時10分になっちゃって、朝弱いわたしにはつらい…

タイトルの『テヒリーム』というのはヘブライ語で、「詩篇」や「賛歌」を意味することばだ。
歌詞もヘブライ語で、旧約聖書の「詩篇」から取り出されたテキストになっている。
とても特徴的で複雑なリズムは、そのテキストそのものが持つリズムやアクセント、イントネーションから導き出されているらしい。
ヘブライ語って全然なじみはないけど、こうやって聴くと日本人にも歌いやすいことばかもって思うよね。

はしゃまいぺさめりーたぼるけ〜♪

「ことば」から「楽器」へ:『ディファレント・トレインズ』

Reich: Different Trains (1988)

弦楽四重奏、つまりヴァイオリン2本、ヴィオラ、チェロによる合奏と、録音テープによる作品。
最初の『It’s Gonna Rain』や『Come Out』からしばらくぶりの、「録音され切り取られた話しことば」が素材として戻ってきた。
今度は単語や文章はそのことばは楽器によって模倣されることで、音楽と一体化している。
録音されたときは一度限りしか発せられなかったことばは、ひとまとまりの姿を保っていて、反復と楽器による模倣によって音楽と一体化し、単独のことばよりさらにエネルギーを持って立ち上がる。
そしてひとつひとつの文が移り変わるのに呼応するように、背景の弦楽器によるハーモニーも変わっていく。
上の映像は2008年にNHKで放送されたもので、テキストの日本語字幕がとてもありがたい!

さてここで、曲の構造について話してみよう。
休みなく続く3つの楽章から成っていて、それぞれに以下のようなタイトルがついている。

  • 第1楽章 (冒頭〜9:03):America - Before the war 
  • 第2楽章 (9:03〜16:38):Europe - During the war 
  • 第3楽章 (16:38〜最後):After the war

この “the war” というのは、第二次世界大戦のこと。
その中でもこの作品の題材になっているのは、大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人迫害だ。
その時期はライヒの幼少期と重なり、彼はユダヤ人であったがアメリカに住んでいたために迫害を免れたけれども、もしヨーロッパにいたとしたら、全く別の列車 (different trains) に乗っていたかもしれない。
そういったライヒの思いが、この作品の根になっている部分である。

まるで一本のドキュメンタリー映画を観ているような気分になる。
歌として感情を込めるのとは別の表現があるんだ。
わたしにはまだこういう作品についてうまく言語化できないのだけど、これを聴いたときの「体験」は心が大きく揺さぶられるものだった。
最後の一節がほんとうに美しくて…

中世を回顧する:『プロヴァーブ』

Reich: Proverb (1995)

『ディファレント・トレインズ』から通じている、ことばのイントネーションを楽器で模倣する「スピーチ・メロディ」と、12〜13世紀の中世ヨーロッパの作曲家として代表的なペロティヌスの合唱のスタイルが合わさっている。
相性が悪いわけがないよね!

20世紀の哲学者ウィトゲンシュタインのことばを引用した、 “How small a thought it takes to fill a whole life! (なんと小さな考えが一生を満たすのか!*1 )” というテキストが全曲を通して歌われる。

ペロティヌスの作品はこんな感じ。
三拍子系の軽やかなリズムと、伸び続けている低音が特徴的だ。

Pérotin: Sederunt Principes / かしらたちは集いて (1199?)

この切ない美しさ、アルヴォ・ペルトも思い出されるなぁ。

Pärt: Magnificat (1989)

「歌」のエネルギー:『ダニエル・ヴァリエーションズ』

Reich: Daniel Variations (2006)

演奏は2:08から。

この作品では、旧約聖書の『ダニエル書』と、ユダヤアメリカ人の記者ダニエル・パールのことばから引用されたものがテキストになっている。
ダニエル・パールは、2002年にパキスタンイスラム原理主義者たちによって拉致・殺害された。
彼の父親が、彼を追悼する音楽を作ってくれないかと、ライヒに依頼をしたそうだ。

ハーモニーやメロディはより心情的というか、張り詰めた緊張感、胸がつまるような重苦しさ、そして祈るような美しさがより迫ってくる感じがする。
そして声は、より厚みのあるものになって、繰り返され、エコーして、ことばをまっすぐに伝えてくる。

以下のページは、この作品についての詳しい内容や作曲の背景を、ライヒ自身が話してくれている素晴らしいインタビューだ。

www.cdjournal.com

「コーラスが“その日が終わったら、ガブリエルはきっと私の音楽を受け入れてくれる”という歌詞を歌うんだが、これはパールが生前に残した言葉に由来するものだ。ユダヤ教神秘主義においては、ある夢が誰かの“正夢”となるとき、その夢は神の言葉を伝えるメッセンジャーたる天使によって運ばれる。そのメッセンジャーが、大天使ガブリエルというわけだ。『ダニエル・ヴァリエーションズ』は、パールを追悼する作品ではあるが、彼が生前に愛した“美”をも見つめているんだ」

まとめ

西洋音楽での「歌」は、歌詞は音楽に引っ張られて、おおげさになりがちだ。
オペラなどでよくある、過剰なまでに思えるヴィブラートのかかった歌声が苦手なのは、そこに起因しているのかもしれない。
その中で、ことばそのものが持つ抑揚をそのままに、はだかにして扱うのは、初期の『It’s Gonna Rain』からずっと続いている、ライヒのことばに対する一貫したアプローチだ。
わたしはこのアプローチにすごく共感する!

【最高の楽器「声」の使い方、スティーブ・ライヒの場合】シリーズ、ずいぶん長くなってしまったよ。
ライヒは好きな作品ばかりで、もっといろいろ話したかったけど、今回は「声」という枠で集めてみたということで、ここでいったん終わり。