ざくろ色の止まり樹

いまある音楽を楽しむ。

最高の楽器「声」の使い方、スティーブ・ライヒの場合 Part.1

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「声」に対してわたしはちょっと特別な思いを持っていて、声は音楽の根源であり、ことばを乗せられる唯一の、そして最も美しい音色を持った楽器だと思っているんだ。
たくさんの作曲家たちがそれを使った作品を書いてきたし、今もずっと作られ続けている。
その中から最近、魅力的な声の使い方だなぁと思ったスティーブ・ライヒの作品を、彼の作風の変化とあわせてお話しするよ。

フェイズ (位相) 音楽のはじまり:『ピアノ・フェイズ』『ヴァイオリン・フェイズ

スティーブ・ライヒ (1936- ) は、短く単純な音型をくりかえす音楽である "ミニマル・ミュージック” の作曲家を代表するひとりだ。
ライヒの初期の代表作品として、『ピアノ・フェイズ』『ヴァイオリン・フェイズ』というのがある。

Reich: Piano Phase (1967)

2人のピアノ奏者のための作品。
お互い同じ音型を弾きながらちょっとずつずれていく、これをライブでやるのってすごく難しそう。

Reich: Violin Phase (1967)

録音テープとヴァイオリン奏者、または4人のヴァイオリン奏者のための作品。
こっちでは同じものを繰り返すほかに、ずれていく中で新しく浮かび上がってきた別の音型の「強調」も行われる。
途中、影で別のメロディが聴こえてくるのは、その「強調」が行われているところだ。

録音テープによる “偶然” :『It’s Gonna Rain』『Come Out

この「フェイズ」シリーズは、同じ音型を複数の人またはテープなどによる音源が演奏していくなかで、わずかなテンポの違いによってだんだんずれていく現象を使っている作品群だ。
単一のものがだんだん面になり、立体になっていくのを見ているような、シンプルなわくわく感があって面白い。
聴き続けても飽きさせない、不快に感じさせない音型の絶妙さ、これも曲の魅力のひとつだろうなぁ。

このアイディアに行きついたのは、実は偶然によるものだったらしい。
ライヒの作品で最初に発表された、テープによる『It’s Gonna Rain』がそのきっかけだった。
このテープには、キリスト教ペンテコステ派の聖職者による世界終焉についての説教が録音されている。

もともとはこの録音、ふたつのレコーダーでまったく同じものを同じタイミングで流し続けることを目的としていたらしんだけど、磁気テープによる当時の録音技術では完全なシンクロは困難なもので、実際に再生してみたらだんだんとずれてきてしまったという。
そこでライヒは最初の計画をやめて、この「ずれ」を活用する方向性にシフト。
これが、フェイズ音楽のはじまりだった。

Reich: It’s Gonna Rain (1965)

聖職者のことばは短く分断され、タイトルと同じ “It’s gonna rain…” が繰り返される。
その分断がより細かくなったり、何度も繰り返されたり、エコーが膨らんでいくうちにその単語さえ聴き取れなくなってきて、単なる「音」になってくる。
ゲシュタルト崩壊に似ているかもしれない。

Reich: Come Out (1966)

似たような作品には『Come Out』がある。
今度は19歳の男性が、1964年のハーレム人種暴動に巻き込まれて怪我を負っていたが警官に取り合ってもらえず、処置が必要なのを証明するために「自分の傷を広げて、(警官に) 血を見せなきゃいけなかった」と訴える言葉が録音されている。

この「ことば」と「音」の行き来、とても短く断片的な部分の繰り返し、そしてそこから生じるエコーやパルスなどは、この先のライヒの作品のルーツになっているというのが、面白いと思うんだよね。

次からは、いよいよ声がアンサンブルに参加し始めるよ。 

dkagera.hateblo.jp